安易な承認から距離を置く

こんにちは、小西です。

 

以前、こんな記事を書きました。

「語れるジュエリー」

自分が好きなものを人と共有できると楽しいですよね。特にREFINE METALコレクションなんかは語れるポイントが多くて、誰かに伝えたくなっちゃいますよね。という内容でした。

実際にREFINE METALコレクションをオーダーしてくださった方々がInstagramに次々と投稿されているのを見て、こうやって広まっていくのは本当に有り難いし嬉しいことだなぁと感じております。

 

今日の記事では一見それと真逆のことを言っているように思われるかもしれませんが、実は繋がっている部分があると思います。よろしければ少しお付き合いいただけると嬉しいです。

 

 

少し前に、評論家の宇野常寛氏が「ヒトがモノを作る時、そのモノはコトに近づいていく」「承認との交換ではなく、“ヒトが作るというコトまで含めたモノ”と対話を深めるだけで充分」と主張している記事を読みました。

確かに!と納得したのですが、実は代表の貞清も同じようなことを言っていました。「ヒトがモノを作る行為そのものが楽しいし、そこに感動が生まれる」と。

 

「誰が誰のために作るのか」を大事にしているhumでは、ひとつひとつのオーダーごとに様々なストーリーが生まれます。 

たとえば、以前hum online storeでTHE SYMBOL OF REFINED METALのジュエリーをご注文されたお客様は、難病の治療中に「REFINE=再生という意味に自分自身を重ねて」くださったそうです。そのようなジュエリーはただただパーソナルであり、誰かから「いいね」と言われずとも大きな意味を持つと思います。

ここでの「モノ」は他者からの承認を必要とせず、たったひとりの為だけに価値を生み出しています。その本当の価値は持ち主だけが感じ取れるもので、人と共有することは難しいかもしれませんが、だからこそ特別な力を持つのではないでしょうか。

 

しかし、そういったパーソナルなものにこそ共感が集まることもあります。

六本木の21_21DESIGN SIGHTで先月まで開催されていた「メンズリング イヴ・ガストゥ コレクション」では、イヴ・ガストゥが30年以上蒐集を続けた指輪400点余りが展示されました。彼の指輪に対する執着の源泉を簡単に理解することはできなかったものの、コレクションから発せられる熱狂には惹かれるものがありました。

ただ自らの欲望の赴くままに集め続けたのだと想像できますが、そんな極めて個人的なコレクションが観衆の興味関心を引いているところに面白さを感じました。

 

 

タイトルの「安易な承認から距離を置く」。

たまたま些細なディスコミュニケーションを感じることが続いた時に、ネットだか雑誌だかで目にした言葉です。それ以来妙に頭に残っており、理解されたい・共感されたいという気持ちを手放そうと試みているのですが、自分の思考は他の誰でもなく自分自身が大事にしなければと考えるようになりました。

そうすると思考と言葉の純度が高まるので、結果的に他者にも伝わりやすくなる気がします。

 

誰にも理解されないかもしれない気持ちを大事にすることは誰かと気持ちを共有するのと同じくらい豊かなことで、そこから生まれる共感も多いのかもしれないと、最近は考えています。

「誰が誰のために作るのか」が明確なhumのジュエリーは、こういう風にパーソナルな楽しみ方をするにも相応しいんじゃないかなとも思います。

 

自社のアトリエで自社の職人が作るオールハンドメイドのジュエリーに、皆様ひとりひとりの想いが織り込まれていくことは何より嬉しいです。

そして誰かにとってのパーソナルなジュエリーがまた他の誰かに影響を与えることがあるなら、こんなに光栄なことはありません。

 

 

photo by Makoto Ono

 

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今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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